あおもり日本語学校の教職員をご紹介します。
校長 澤井 登史朗出身 神奈川県川崎市趣味 野菜の自然栽培(挑戦中)座右の銘(自分への戒め) こだわらない経歴2003~2011 朝日国際学院 教員・主任教員1999~2000 河南大学外語学院日語学科2003~2019 学校法人創志学園・愛媛女子短期大学(現IPU短期大学部) 国際交流コース長・東京国際ビジネスカレッジ 日中通訳翻訳コース・日本語学科 教員 日越ビジネス通訳翻訳コース長 |
自己紹介川崎市川崎区、野球場と競輪場のそばで育ちました。その後は弘前、函館、中国(開封市)、愛媛(宇和島)、千葉で過ごしましたが、ようやく四季の美しい青森に落ち着きました。この地で日本語教師の仕事ができるようになってうれしいです。日本一の良い学校にしていきたいと思います。 日本語教師になったきっかけは?英語を学びにイギリスに短期留学し、その後ヨーロッパを周遊した時の経験がきっかけになりました。詳細は省きますが、ヨーロッパの学生達よりも同じアジアの学生達とのつきあいから受けたショックが大きかったです。アジアの若い人たちのためにできることはないかと考えたときに思い当たったのが日本語教師でした。 日本語教師として大切にしていることは?1. 学生に先入観をもたないこと 学生との思い出などを教えてください。たくさんあって、書き切れませんが、お金のない学生ばかりを相手にしてきたような気がします(笑)。ちなみに、今日のネクタイは、期日通りに学費を払ったため、食費もなくなってしまった学生が、後日プレゼントしてくれたものです。違法な資格外活動などしていませんでしたから、生活費を削って買ってくれたのでしょう。礼とは形式や物ではないのだなとしみじみ思いました。 留学生たちへ一言「日本と母国、そして世界の友好と発展のために」力を尽くせと、聞こえがよくても気持ちのこもらない標語は嫌いです。そんなことよりも何よりも、学生達が日本語だけでなく日本留学で学んだ様々なことを自分のために役立ててくれれば私はうれしいです。大学や大学院の研究者になる、ビジネスマンとして国際社会に乗り出す、日本語の先生として後輩を育てる、日本で働く外国人のサポート、通訳翻訳者など、卒業後に開ける道はたくさんあります。しかし、留学=語学ではありませんから、日本語は忘れてしまってもかまいません。国際感覚のあるお父さん、お母さんとして子供を育ててくのもまた、留学経験を生かす立派な道だと私は思います。 |
専任教員 高橋 龍之介出身 青森県趣味 ビリヤード、将棋経歴2015.3~2020.8 廊坊師範学院(中国)2020.11~ あおもり日本語学園 |
自己紹介こんにちは、高橋 龍之介です。 日本語教師になったきっかけは?突然海外に行ってみたいという気持ちが強くなり、新卒で入った会社を1年経たずしてやめました。やめたはいいものの海外に行って何をするのか分からず途方に暮れていたところ、そこで出会ったのが海外の日本語教師という選択肢です。資格がなくても日本人というだけで需要があったので思い切ってすぐ中国へ行きました。はじめは苦労もありましたが、中国にいる間にすっかり日本語の魅力に取りつかれ今に至ります。突然海外(中国)に行ってみたいと思ったのは、今思うと大学時代の中国人の友人がきっかけだったのではないかと思います。 日本語教師として大切にしていることは?学生へ教えるためには確かな知識がなければいけませんので、自分自身の勉強を最も大切にしています。私の中には学生から飛んでくる質問にちゃんと答えられなかったときの恥ずかしさがずっと残っています。自分が恥ずかしいというだけなら別にいいのですが、それは結局学生に影響を及ぼすことです。ずっとそのようなモチベーションで日本語に向き合っています。 学生との思い出などを教えてください。日本語教師になりたての頃は私も大学卒業したばかりということもあり、中国で受け持った学生たちとほとんど同じ年齢でした。教師と学生というよりも友達みたいな関係で、中国に来たばかりの私をご飯に、カラオケに、観光にと、いろんなところに連れていって楽しませてくれました。逆に私が留学生になった気分で、今でもそれは最高の思い出です。 留学生たちへ一言勇気がなければ留学なんてできません。でも勇気があってもどうにもならないこともあります。外国で生活することはそれくらい難しいことです。しかし、あおもり日本語学園にはその苦しみを理解している先生がいます。困ったときは必ず助けてあげます。自分の人生を切り開くため、まずは勇気だけ持ってきてください。 |